花に嵐

オタク・備忘録

僕の見た君を 君に伝えたい

 君がいた事を 君に伝えたい。

 藤原です。


 早いものでもう2022年が終わってしまうようです。
 それはつまり、にじさんじで間違いなく一番好きなライバーであったアクシア・クローネの卒業から一ヶ月が経ったことも意味します。
 過去形にしたくないなぁという気持ちと、ちゃんと前を見なきゃなという気持ちで、まさしく心がふたつある~状態だった30日でした。

 普段からちょこちょことTwitterで思い返しツイートはしているんですが、もともとこのブログは好きなライバーの話をしたくて続けていたものですし、折角の年の瀬なので少しだけ振り返らせてください。
 全部2022年に文字として置いておくことで、2023年以降の自分が「ああそうだった、こういう人だった。好きだったなあ」と振り返れるようにしたいという、完全なる自分のための備忘録です。文末全部に「個人の感想です」がつくものになります。よろしくおねがいします。




 唯一無二の人だったなと思います。
 いや、それは別にアクシアに限ったことではなく、この世に生きとし生けるすべての生命がそうなんですが…。(主語デッケ…)

 ゲーム実況というジャンルが確立され、市民権を得てから結構な年数が経ちます。自分が最初にゲーム実況というものを見始めたのが正確にはいつだったかもう思い出せないんですが、まあでもボルゾイ企画をリアルタイムで観ていたことを考えれば10年以上は経っているのかな。
 もともとゲームが好きで、特に自分がやったRPG系は他人の反応が観たくて、それなりに長い年数さまざまな人のゲーム実況を観てきました。
 単純におもしろい動画を観たいという理由だけではなく、「反応に共感をしたい」という考えのもとに実況を観るということは、必然的に自分の感性に近い人を好むことになります。そうなってくるとやっぱり、ああこの人の感性や視点のすべてが好きだな~と思える実況者って非常に限られてくるんですよね。
 自分は気になるタイトルならだれがプレイしているかということを問わず観ていたタイプですし、単体で好きな実況動画は星の数ほどあるんですが、それでも「この人の実況が全部好きだ」「この人に自分の好きなゲームをやってほしい」と思える実況者には、ニコニコ動画では最終的に二人しか出会えませんでした。

 Youtubeで出会った三人目がアクシア・クローネでした。

 最初に良いなと思ったのは剣盾の反応だったかなあ。当時は全部追い切れておらず、ちょこちょこタイムスタンプでストーリー部分を観ていた感じだったんですが、飾らぬ素直な反応が良いなあという印象でした。
 そこからビビりのホラーゲーム実況だ!と大喜びで行方不明を観て、ビビりキレ散らかしながらもグッドエンド後に話を振り返って自分なりに考察を重ね、「面白かった!」で〆た姿に好感を覚えたのと、行方不明以外のチラズアート作品を勧めていた姿にゲーム実況への真摯さを感じ、この時点でかなり信頼度が高かった記憶があります。
 行方不明に限らず、基本無料系のゲームを除いてほとんどのゲームにおいて「どこで売っているか」を最後に伝え、自分でのゲーム体験を促してくれているところが本当に好きだったなあ。ゲーム実況動画って、場合によっては他者のゲーム体験を奪うものでもあるので。それを踏まえた上で自分でのプレイを促してくれる人はゲーム実況者としてとても信頼できるな……といまも思います。

 だからこそ、Undertale厄介オタクの自分が、アクシアが配信予告ツイートをしたときに初めてUndertale実況を観ようと思えたんですよね。
 人生に影響を及ぼすほど好きになったものって、やっぱり茶化されたりバカにされたくはないし、それくらい好きであるがゆえに解釈ががっちり固まっているので、なかなか他の人の体験に食指が伸びなくて、というか伸ばす必要も感じなくてずっと自衛していました。
 その自衛を破りたくなるほど観たいと思えたのは、そう思える人に出会ったのは、いまこうして思い返してもとても嬉しいことだったなあと感じます。

 Undertaleの感想はもう既に過去の記事で書いているので詳細は省きますが、本当に良い実況をするライバーでした。
 多分ブログ内でも何度か言ってるんですけど、Undertaleに限らず、ストーリー要素が強いゲームにおいて世界観に没入するのがとても上手な人だったなと思っています。
 彼がゲームをプレイするとき、主人公は「おれ」であり「主人公」で、たとえばプレイヤーキャラが自我を持っているアンリアルライフが顕著なんですが、主人公=「おれ」として完全に没入して話すときと、主人公の後ろから「アクシア・クローネ」として所感を話すときがあって、それが絶妙なバランス感覚で成立していたんですよね。
 目の前にある世界から乖離せず、かと言って完全に主人公に自分を重ねることもなく、自分が操作しているキャラクターの手を引いたり逆に手を引かれていくような、そんな旅路が魅力的な実況者でした。
 これはUndertaleの「本当に最後」の結末が一番それを魅力的に映し出していたかな。あれは「落ちたニンゲン」であり「あくしあ」であり「アクシア・クローネ」としてあの世界に向き合ったからこその美しい終わりだったなあと思います。

 ゲームの世界を通してこちら側に見えるアクシア・クローネと言う人は、少し穿って見てしまうくらいに真っ直ぐで一貫した感性を持った人で、その感性のファンでした。いや、ここは過去形にはしたくないな。いまもファンです。
 アクシアの視点と言葉を通して観る物語は、自分が観たものとまた少し違っていて、その視点だったからこそ気づけたことや、「あ、そういう認識や解釈もあるんだな」と思わされることも多くて、自分の好きなゲームをまた違った角度から更に好きにさせてくれたことに本当に感謝しています。

 分かりやすいRPを沢山していたわけではないですが、ゲーム実況を多分に含む配信から見えて積み重なった彼の人間性は、確かにエデンを守る機動歩兵部隊パイロットの「アクシア・クローネ」というバーチャルライバーを、きちんと形作っていたと思っています。
 少しメタ的な話なので薄めにしますが、バーチャルの身体を動かすのが上手かったのも印象的でした。黒野先生もたくさん細かくパーツ分けしてくれたと思いますが、1.0の時点であれだけ動いていたのはやっぱりトラッキングの相性も良かったんだろうし、しっかりトラッキング出来るように環境も整えていたんだろうなと。あの表情豊かさも観ていて面白かった。自分はバーチャル・リアルを問わず実況者が画面に居る意味をそれまで感じていなかったんですが、様々なシーン……例えば良いBGMを聞いたときにパッと笑顔になったり、いわゆるビビらせシーンで驚くのを見て、ああ実況者の顔が見えるってこういう魅力があるんだなということも教えてくれました。ありがとう。

 
 もちろん良かったのはストーリーゲーだけではなくて、他のゲーム実況もとても楽しいものでした。
 アクシアFPSが得意と言う触れ込みでにじさんじでデビューしたので、わりとFPSのイメージが強かったのかなと思いますが、かなり様々なジャンルのゲームをプレイしていました。
 特に印象深いのはやっぱりスプラトゥーンやマリカでしょうか。スプラに関してはガッツリ感想を過去に書いたので詳細はそちらで……になりますが、本人の基礎ゲームスキルが高いことに加え、いわゆるテクニック的な座学部分にもかなり貪欲だったこともあり、ゲーム中の本人の思ったことが全部口から出るようなトークはもちろんのこと、成長型コンテンツとしても非常に楽しめるものでした。
 かなり勤勉な、努力の人だったなあといまも感じています。どのゲームも上達がはっきりと目に見えて形になっていて、観ていてとても気持ち良かった。
 わりと誰の配信でもコメント欄に「そのゲームだから観に来た」っていう有識者層が必ず現れると思うんですけど、自分の持たない知識が必要になるタイミングで、そういうリスナー層に「作戦会議」という形でアドバイスを求めて、きちんと求めている情報が返ってきて進んでいく、そういう風に作られていた配信の雰囲気がとても好きでした。マリカとかもそうだったけど、マイクラポケモンが特にそういうシーンが多かったかな。
 ただ教えられるだけではなくて、逆にリスナーが知らなかったり自分の方が知識量があるようなゲームやコンテンツについては、丁寧に解説してくれていたところも好きでしたし、おかげで一緒に楽しめたゲームは色々ありました。やっぱりそういうシーンはモンハンが思い出深いですが、個人的にはポカチェでめちゃくちゃ助けられました。ポーカーミリしら猪野郎がダイヤまで上がれたのは、アクシアのポカチェ配信のおかげです。これは本当に。
 アクシアは簡単な言葉しか使わないから日本語の勉強に観ている海外リスナーがわりといる、という話が一時期ちょっと面白ネタになっていましたが、実際分かりやすい言葉を選んでいくのってそれはそれで難しいんですよね。贔屓目にはなっているかもしれませんが、料理キャスとかを見ても「説明をする」という行為がとても上手な人だったなあと。
 

 先に少しマイクラの話を出したので思い返すと、マイクラの建築も良かったなあ。
 にじ鯖ではなくソロだったので、もう見る術がないのが本当に惜しいんですが、しっかりモダンハウスというコンセプトをつくって、ワンミスでリセットになるハードコアモードで自分の求める建材を集めきって、外観も実用性もクオリティが高い拠点を造り上げたのはシンプルに尊敬しかありませんでした。しかも別に全然余裕で安定していたというわけではなくて、わりと遠征に際して何度か死にかけて撮れ高もあったの、しっかり配信としても見応えがあって面白かった。
 最後の目標だったエンドラ倒してエリトラで空を飛ぶところは見られなかったけど、区切りとしてあの家が完成するところまで観られて本当に良かったな。

 時々見せてくれた絵とかもそうだったし、多分わかりやすいところだとにじフェスで展示された絵葉書はシンプルに上手いと言って特に過言ではないと思うんですが、細部で見られる芸術?美術?センスも好きでした。




 そんな感じでしょうか。

 ゲーム実況者としてのアクシア・クローネのことが、今も好きです。
 特にRPGにおいての体験を大事にしたいゲーマーとして、彼のゲーム体験を少しでも共有してもらえたこと、楽しい時間をくれたことに本当に感謝しています。

 アクシアが居なくなってから、もともと好きだったライバーやこれまで興味はあったけど見る時間がなかったライバーの配信を見るようになり、きちんと楽しい時間を過ごしています。
 ただ、やっぱり人ひとりの穴って別の誰かの存在では埋まらないんだなあということを再確認しました。まあでも当たり前なんだよね。
 自分は六年くらい前に友人を亡くしているんですけど、六年の間で何人友人と呼べるが増えてもその友人のことが上書きされるわけじゃないんですよ。バーチャルの存在で画面越しでしか知らない人とは言っても、人間なのは変わりないんだからそりゃそうか、それとおんなじかと思っています。
(なんかちょっと自語りの話題として重いな……と思って薄めた)


 自分は根本的にゲームが好きで、ゲームに人生を繋いでもらってる人間なので、そうであり続ける以上、自分のゲーム体験に影響を及ぼしたアクシア・クローネという配信者の配信を忘れることはないでしょう。
 自分の好きなゲームをプレイしてほしい!と熱望するような配信者を見つけることが出来て、一番好きなゲームをプレイしているのが見られて、とても幸福でした。
 長い人生の中で、アクシアにじさんじに来てくれて本当に良かった。

 最後にこの未練だけ2022年に置いていこう。
 彼がゲーム実況以外にもやりたいと言っていたことの実現が、観られる世界であってほしかったな。

 以上です。